
音大受験の準備には時間がかかると言われる。幼少の頃からレッスンを積み重ね、一歩一歩上達していった結果として音大に入学できるといったイメージはたしかに強い。しかし——、必ずしもそんなケースばかりとは限らないのだ。大学を受験する時期は、さまざまな悩み、人との出会いなど、人生の大きな転機といえる。登場してくれた5人の言葉は、そこにかけがえのないそれぞれのドラマがあったことを教えてくれる。
司会 音大受験では、いつ頃から何を勉強するかという計画が大切になりますよね。みなさんどんなスケジュールで受験に臨まれたのですか? まず沢谷さんから。
沢谷 僕の場合、かなり異例なので参考になるかどうか……。音大を受けようと決意したのは年末も押し迫ってからでした。音大受験の予備校何校かにアクセスしてみたのですが、ほとんど門前払い。時間がないから諦めた方がいいという対応ばかり。「とりあえずいらっしゃい」と言ってくれたのがOSS。レッスンを始めたのは1月中旬でした。
司会 それじゃ、ほとんど1カ月で受験の準備をしたということ?
沢谷 はい。あまりにも時間がなかったので、特別に週6回の個人レッスンを組んでもらいました。
――出た! 特別レッスン
司会 個人レッスンというと?
沢谷 たまたまなんですが、自宅と先生のお宅が歩いて2分の距離なんで、毎日2〜3時間、楽典と聴音と発声、歌のレッスンをしてもらったんです。でも、時間がない割には、けっこう雑談というか、音楽の背景的なことを話してもらったり……。いい雰囲気で勉強できるんです。それ以外にも、ほとんど毎日教室に通って楽典・聴音の授業と個人レッスンを受けました。
司会 それにしても、どうしてそんな状況になったのか、疑問なんですが? 昨年の12月まではどうしていたのですか?
沢谷 僕は小学校4年生の半ばから高校卒業までインドネシアに住んでいたんです。海外から日本の大学を受けるとなると、情報も乏しいし、とりあえずどこかに入らなければと、ふつうの大学の心理学科に入学しました。でも、やっぱり音楽がやりたくて。
司会 何かきっかけはあったのですか?
沢谷 ミュージカルを見に行った時かなぁ。もともと音楽が好きで、高校では合唱やアカペラをやっていたんです。
司会 それにしても1カ月の勉強で合格するというのは大変なことです。何か勉強のコツのようなものはあったのですか?
沢谷 とにかくやるんだ、と自分を追いつめてましたね。まわりにも迷惑をかけていたから、絶対合格しなければという気持ちは強かった。でも、前半の2週間は、うまくいかなくて、気持ちばかり焦っていました。後半2週間でしっかりつかめたといった感じです。
司会 音大受験を週単位で語れるというのはすごいと思いますよ。レッスン3週間目に沢谷さんが何をつかんだのか、については後でじっくり聞かせてください。
司会 有田さんはどんなスケジュールで受験の準備をされたのですか?
有田 僕は5月頃でしたね。もっとも、音楽を学びたいという気持ちはずっと以前から持ち続けていました。受験のための予備校探しなど、具体的に行動を始めたのが5月。6月から週1回の基礎クラスで楽典と聴音を勉強して、受験の直前には個人レッスンでみっちりと。
司会 沢谷さんに比べると受験までに時間がありそうですから、じっくりと勉強に取り組めたのですか?
有田 僕の場合AO入試だったので、意外と時間がなかったんですよ。一番早いところで試験は6月から始まりましたから。
司会 みなさん直前集中型なんですね。音大のAO入試はどんな内容なのですか?
有田 楽典とか聴音とか基本的な試験がまずあって、次に面接。ここからがアドミッション・オフィス入試ならではなのですが、面接で一人ひとりに異なる課題が出されるんです。僕の場合はオリジナルの楽曲を3曲、CDに焼いて提出するというものでした。
司会 どんな曲を作られたんですか?
有田 えーっと何言おっかな…。一つはポリリズムをテーマにした6分ほどの曲。
――おぉー[全員感嘆の声]
有田 楽器のパートのそれぞれが違う拍子で、フレーズを繰り返していくんです。リズムが違うパートの繰り返しなので、演奏が進むにつれてだんだんずれていくわけですね。それを通して、美しいものが壊れていくというテーマを表現したんです。
――おぉーおぉー[全員感嘆の声]
司会 作った曲は教室の先生にも聴いてもらいましたか?
有田 はい、もちろん。でも先生方は「ふーん」って感じでしたね。
司会 ここに先生からのメッセージがあります。「有田君のように、自分のやりたいことがしっかりわかっている人に対しては、放任でいくんです」とのこと。音大に進学して、将来何をやりたいと考えていらっしゃるか、後ほど聞かせてください。
司会 日原さんは? どんな受験生活を送ったのですか?
日原 自分は一浪しているんです。高校ではバンドとかやっていて、音楽は好きだったんですが、学校が進学校だったこともあって、音大に進もうなんて気持ちはまったくありませんでした。親が彫刻家なので「自分も美大にでも行くかな」なんて思っていたくらい。それなりに描ける方でしたから。でも、親からは「お前はオレよりセンスがないから美術はやめとけ」と言われた。じゃ将来何をしようと考えた時、思い当たったのが「音楽が好き」ということ。それでOSSの先代に相談に行ったんです。というか、実は親戚なんですね。できることなら音楽をやりたい。作曲には興味がある。そんなことを話したら、「楽典も聴音もピアノもやってないのに作曲科に行くのは大変だぞ。ちょっと声を出してみなさい」とピアノのところに連れて行かれて、「おぉ、いいバリトンだ。次はいついついらっしゃい」ということになった。あれよあれよって感じですよ。いつの間にか、目の前に声楽の道が開けていた。しかし、自分の場合、まったく基礎がなかったので、聴音や楽典が人とくらべて恐ろしいくらい劣っていました。模試でも半分くらいしか取れないくらいでした。
――話が長いなぁ。で、1年目はどうだったんですか[長谷川]
日原 そう、それがね、11月に歌の先生から「日原くん、君テノールでいきなさい」って言われたんですよ。テノールの方がかっこいい曲がたくさんあるぞって。でも、歌い始めたばかりで基本もできてないのに無理して出せない音域を出そうとして、けっきょく喉をつぶしてしまった。で、1年目の受験は失敗。
司会 で、いよいよ浪人生活。
日原 自分なりに切羽詰まったものがありましたから、教室に通うのとは別に、週2回の個人レッスンを受けることにしました。
司会 先生からのメモがあります。「最初は週2。そのうちほぼ毎日」とあります。
日原 そうですね。いやでも勉強する環境に身を置いて、何がなんでも音大に行くんだと燃えました。
司会 お待たせしました、長谷川さんは?
長谷川 え〜っと……。
――おい、これから考えるのかよ
長谷川 自分、大阪なんですよ。部活動で吹奏楽やってたんですけど、マーチングバンドとかもやるかなりハイレベルな部活で、受験勉強に取り組める環境ができたのは12月。もともと、関西の音大の短期大学部に面接だけで入れるということだったので、それでいいかと考えていました。ところが面接の直前、国立音大で活躍している打楽器の先生が学校に教えに来てくれて、その方とお話しする機会があったんです。「どうして関西なの? 本当に音楽をやりたんなら東京でしょ」。そうだよな、と納得して12月から受験準備を始めました。周囲は「お前落ちるよ」、自分も「はい、わかってます」。で案の定、実技はパスしていたんですが、学科がダメでした。浪人が決まって、クルマの免許を取って、バイトして……。ふと気づくともう夏。さすがに追い込みに入らなければと9月に上京。さらにいろいろあって、本格的に受験勉強に取り組んだのは11月から。
――せっかく時間がたくさんあったのにね[増岡]
長谷川 そうなんです。でも現役の時に実技は通っていたので、ちょっと余裕はあったんです。でも、結果的に短期集中で個人レッスンを受けることになり、日々楽典の嵐……。で、見事合格。というわけです。ね、手短にまとめたでしょ。
――むむむ……[日原]
司会 増岡さん、本当にお待たせしました。
増岡 私、3歳からピアノをやってきたんです。親も、娘は将来ピアノで藝大に行くんだと思いこんでました。もちろん私自身も。だから、受験の準備を始めたのは高校1年の時。「目指せ!藝大ピアノ科」で頑張りました。現役の時に受験したのはもちろん藝大。でもダメで……。
司会 増岡さん、今は声楽ですよね。
増岡 はい、そこで人生最大の転機があったんです。それまでの15年間、遊びよりもピアノ、勉強よりもピアノっていう生活をしてきていたのです。それが落ちてしまったのですから、この先ピアノを続けていけるのか、自分の将来はどうなるんだろうと激しく落ち込みました。1カ月くらい精神的にどん底といった状態が続きました。でも悩んだ末に「やはり音楽を続けたい」という気持ちになれたんです。
司会 それでOSSに?
増岡 とりあえず聴かせにいらっしゃいということで。でも、弾いた後、先生はしばらく沈黙。その後、「正直言って、ちょっと難しい」という言葉が返ってきました。でも、自分としてはピアノを続けたい。ピアノ科が無理なら音楽教育科ででもいいからピアノを続けたい。そんな思いからレッスンを受けることになったのです。音楽教育科ではピアノに加えて声楽も必要です。その声楽のレッスンの中で「ピアノより声楽の方が合ってるんじゃないの」と言われるようになったんです。でも本人としては「えっ、そんなことは……」って気持ちですよ。それまで10数年ピアノ一筋でやってきたんですから。
司会 最終的に声楽で行こうと決意したのはいつ頃?
増岡 親はピアノを諦めないでという思いが最後まで強かったようです。かなり頑強にピアノと教育で受けるように言っていました。でも、レッスンを続ける中で、自分としては限界を感じるようにもなっていました。今の自分の目で見ると、8割はできるけれど残りの2割の詰めが甘いということなんですけど、ピアノについては、どうしてもきっちり詰めることができない。そんな意味での限界が見えるようになっていたんです。だから、願書を出す時は自分で決めました。声楽で受けたいと。OSSの先生には、親からかなりきついことを言ったようです。
司会 先生からのメモがあります。「親御さんからは、もし声楽で受からなかったら……という話もあった。でも、鍛えれば合格させることができると確信していた。レッスンでは涙を流すことも。泣いてたら歌えないでしょと叱りつけることもしばしば」。たいへんな数カ月だったんですね。
増岡 自分の人生の中で、これ以上ないという激動の時期でした。厳しかったですけど、先生には心のケアまで含めてお世話になったと感謝しています。あの転機がなければ、将来もずっと声楽を続けていきたいと考えている今の自分もないわけですから。
みなさん、それぞれ人生を左右する貴重な時間をOSSで過ごされたことがよくわかります。次回は音大受験の学習方法に焦点を絞って、引き続き5人のインタビューをお送りします。
※次回は6月初旬に掲載いたします。
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